前へ | 火産霊神社 ほむすびじんじゃ |
祭神は不動明王と蔵王権現であり明治時代より火産霊神社として祀られる。
創立は詳かでないが伝説として慈覚大師の草創で御神体は同大師の御作とし(1尺5寸)平安末期より祀られてきたものとしている。 当神社は柳田郷の産土であり、この歴史と切り離せない。 日本正史750年の古い昔に明記され、源頼朝の奥羽平定した時その功臣橘公業という人に揚田を賜ったことである。 公業はこの外に近くの豊岩、新屋、湊などの地を併せ賜っている。 当時の揚田は今の太平、下北手、などを総称したものと思われ、この頃既に不動明王が祀られ、この信仰を中心としてまとまっていたと考えられる。 即ち真言宗の思想である山嶽崇拝が盛んとなり、太平山に不動明王、蔵王権現が祀られたのもこの頃であり山麓の里宮として祀られ今日に至る。 また現に伝説を脱して当神社の境内の神木は科学的にお宮の歴史を語る。 植物専門学者の研究報告には槻の孤立木の樹齢は凡そ千年とある。これによっても平安時代の末の創立を揺るがないものにしている。 これは前記の不動明王が修験によって信仰されてきた思想上の時代ともよくあうのである。 |
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