前へ | 神明社 しんめいしゃ |
当宮林村には六所八幡の一社を奉斎していたが、慶長3戊戍年6月、当鎮守八幡社を内小友村に遷宮し、当地に神明宮を奉斎する。
正保3年4月、雄物川欠損及水旱の憂ありて開田開起益々困難に因り、当宮に戸村大学殿開起成就を祈願、その御神徳により、明暦2年事無く開起成就同年より戸村公から、祭料2石3斗3升4合宛寄進される。 その由緒から貞享元甲子年平均御竿入りの際、佐竹源六殿より2石3斗3升4合年々寄進された。 宝永8年4月、正徳4年4月と、前記の事柄を書状にして参宮するにあたり、元禄癸酉年6月伊勢大神宮より御神木を拝受したことから、大神宮の称号を授け、近郷の崇敬をあつめた。 明治42年3月21日神饌幣帛料供進神社に指定され村社神明社と称するようになった。 明治42年12月21日地区内砂虱神社を合祀し、明治43年4月、境内社を合併して現在に至る。 当神社は、由来からして地域開発の神として崇敬篤く、現在も原野開発の折の祈願が多い。 又、子安観音社を合祀することから、安産の神としても信仰が篤く、学問の神としての崇敬もはなはだ多いことで知られている。 |
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