前へ | 八幡神社 はちまんじんじゃ |
「月の出羽路」によれば『八幡宮一郷総鎮守也四月八日神事八月十五日祭礼也いと久しき神社也』と記し、第70代後冷泉天皇御代源義家公が安倍氏を征伐した時、玉川辺の見はらしの良い所に部下を派し敵の行動を看守させた。
その部下共は仮に屯所を作り滞在し、指示により祠を祀って勝利を祈願し、その人々その土地を新屋敷と称して社を八幡宮と崇敬したという。 産土神として総ての守護神、武勇安産の神として崇敬されている。 明治6年8月村社に列した。 |
トップページへ |
|