前へ | 諏訪神社 すわじんじゃ |
従来より斎内村の産土神と崇敬される。
古老の言い伝えのよれば、当村開発当初(年代上詳)に一宇を建立、長野諏訪神社より御神霊を拝戴して産土神と崇敬、郷土安泰を斎い祈ったところから村吊を斎内村と吊付けたとある。 諏訪大神の威徳を仰ぎ、境内に土俵を築き近在の青年等を心身錬成し、原野を開き開拓田と称したが地租改正の時の中心地、模範地を示すとして鎮座地及び近在に多くの諏訪田と称する地が出来た。 明治6年村社となり、同43年2月諏訪田神明社・稲荷神社、長者森・雷神社、宝龍・宝龍神社、天神堂・天神社・弁天社を合祀する。 昭和18年9月6日神饌幣帛料供進神社に指定、昭和33年9月27日の台風により社殿等に被害があり、現存の社殿に修復改築される。 |
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