前へ | 神明社 しんめいしゃ 通称:金峰さん |
創立年代由緒不詳なるも、旧鎮守薬師堂は、古来大同年間創立と云う。
別当は耕養寺、宝洞院、義本坊正光院となっている。 月の出羽路にも、『この薬師如来は、いと旧き社にて、昔は義本坊とてあり、その末流は今の龍正院なり。故ありて熊の渕龍堂の大覚院となれり。霊験いやちこなる社として、近郷に崇敬せられ、祭日四月八日祭礼免として、地頭渋江十兵衛より米五斗ずつの供進ありき。正徳三年堂宇焼失、享保六年七月二九日再建、入払には亀田領、赤田村是山泰覚和尚も参り、別當大覚院、その他修験あまた相勤めたり』と。 天保13年寅年焼失。 安政2年2月再び焼失。 然るに安政元年は前代未聞の雄物川大洪水あり、凶作の為村民の糧米も足らず、秋に至り仮宮を造営して豊作が続いたなら再建しようと計画したが、その後も不作がちで徒らに星霜経ること十有一年、神慮のほどいとも畏き極みであったが、慶応2年9月氏子相謀り、本殿、拝殿を新築するに至った。 現幣殿と屋根の改修は、昭和後世現宮司が実施したものである。 明治元年神仏判然の令あり、同6年10月佐藤三右衛門の斎く所、小種字稲荷谷地神明社が村社に列せられ、これより村社神明社となる。 大正元年12月9日土渕神社、副部羅神明社を合祀し、同2年5月16日合祀祭を執行す。 |
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