前へ | 船玉神社 ふなだまじんじゃ |
神功皇后三韓征伐の折、武内宿弥、勝を神祗に祈る。
時に船玉大神現れ給い、舵なくして無事三韓に着き給う。 役後京師乱れ、宿弥軍兵を引き連れ乱を平ぐ。 後に皇后は宿弥と北海を廻るべしとて蝦夷を経て雄鹿半島に着き、これより生保川をさかのぼって上陸し、祠をここに建て、船玉大神をまつる。 またの説、海水沸騰してこの地も海となる。 時に唐の大船漂流し来る。 大風のため船転覆して岡となる。 今の船玉の社地であると言う。 社殿の四隅に竜の半身を刻み、その中間に十二支を配置す。 東南西北の竜身は口を開き、季節風を利用して呼声を発するような仕組となっていた。 参拝人恐れをなしたので、昭和初期に彩色をした際その仕組みを除いたとある。 |
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