前へ 船玉神社
ふなだまじんじゃ

〒019-2401 大仙市協和船岡字向小沢13・14

 

 


底筒男命(そこつつおのみこと)
中筒男命(なかつつおのみこと)
表筒之男命(うわつつのおのみこと)
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
応神天皇(おうじんてんのう)

6月17日



 神功皇后三韓征伐の折、武内宿弥、勝を神祗に祈る。

 時に船玉大神現れ給い、舵なくして無事三韓に着き給う。

 役後京師乱れ、宿弥軍兵を引き連れ乱を平ぐ。

 後に皇后は宿弥と北海を廻るべしとて蝦夷を経て雄鹿半島に着き、これより生保川をさかのぼって上陸し、祠をここに建て、船玉大神をまつる。

 またの説、海水沸騰してこの地も海となる。

 時に唐の大船漂流し来る。

 大風のため船転覆して岡となる。

 今の船玉の社地であると言う。

 社殿の四隅に竜の半身を刻み、その中間に十二支を配置す。

 東南西北の竜身は口を開き、季節風を利用して呼声を発するような仕組となっていた。

 参拝人恐れをなしたので、昭和初期に彩色をした際その仕組みを除いたとある。


トップページへ
検索ページ