前へ | 月山神社 がっさんじんじゃ |
社伝によれば、大同2年に坂上田村麿が奥州と中央の対立を治めんとし、成就の暁には奥州に7つの月山社を建立する立願から始まり、この地に月読命を奉齋して国家鎮護蒼生の守護神としたと伝えられている。
毛馬内通り(鹿角)総鎮守として、尊崇されてきた。 中世には社殿が数度の焼失にあうも、文禄3年の再建をはじめに、以来近世には改築・再築が行われ、代々南部藩の崇敬厚く、13石の社領を安堵され、明治維新に至まで藩費寄進をいただき、五穀豊穣・家内安全の祈願社として敬われてきた。 また、寛政7年に畑山村(岩手県八幡平市)の人々によって300段の石段が寄進され、苔むした今に至っている。 近世、荒沢月山大権現とも称し、別当寺の廣増寺(真言宗)と羽黒修験不動院によって、祭事や管理が行われてきた。 明治時代には神饌幣帛料供進神社に指定され、大正14年から昭和20年まで県社に列せられている。 現在の本殿は、元文5年に建立されたもので、後に拝殿との間を鞘堂で一体に覆い風雪から守っている。 |
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