前へ | 八幡神社 はちまんじんじゃ |
当八幡宮は、天正文禄時代、津波岐館主石塚氏の武神として、朝夕崇敬していたが、寛保年代、一夜の中に館に火をかけられ焼失してしまった。
その後十数年が経ち、館跡の東北隅に鎮座されていた弓矢八幡の祠堂はそのままであったが、宝暦の初め頃には堂宇は朽ち破れ御神体も外から見える有様であったので、人々心配し勿体ないということで相談し、館の下の地に遷し産土神として奉斎した。 安永5年6月、郷人作右衛門・六右衛門・善助八五郎達が率先して堂宇を建立し、毎年水無月15日を祭日と定め、郷中安全を祈願したのである。 嘉永5年火災に合い堂宇は焼失したが、御神体は祠外に飛び出していて無事であったと言い伝えられている。 それから数年後神主熊井別当の処に遷し、毎年氏子一同お参りをしていたが、文久元年堂宇を再建し7月竣工したので、別当より奉遷し同月15日祭事を執り行ったのである。 棟梁は、茂吉・萱手頭は善蔵である。 |
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