前へ | 保食神社 ほしょくじんじゃ 通称:観音様 |
社記によれば人皇45代聖武帝天平5年12月出羽柵を設けた時より、雄勝柵とを連絡する一往還路が開かれ、仙北より善知鳥を経て和田豊島を過ぎ秋田に通った時代に建立せられ、その地方一円及び旅客の崇敬社となる。
文治5年源義経殺害され残党熊谷太郎の四男某当村田向山に築城するに当り、受持神社を信仰され、祭事も盛大に行い子孫愈々勢力を張ったという。 永禄年間平尾鳥式部太夫乗秋に至り、豊嶋玄蕃頭と戦い亡ぼされたので、それ以来村の信者を以って祭事を営む事となる。 その後正徳4年平尾鳥村社人伊藤宮之進別当は、由緒深い受持神社・藤森神社・鳴雷神社その他9社の御調帳洩れを発見し、その旨を社寺奉行に願い上げ、更に天文2年時の役前梅沢藤馬より申し上ぐ云々とある。 嘉永5年6月再建修理。 明治40年受持神社を保食神社と社名変更する。 明治6年村社となる。 |
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