前へ | 三嶽神社 みたけじんじゃ |
当社は元字夏田の山上に鎮座していたのを、川向いで不便の為文政年代に現在地に遷座したと伝えられる。
菅江真澄の「月の出羽路」に『寛永の頃河辺郡曽場村に在つる薬師十二神を此窟(注・岩谷山の窟)に斉い奉ると云ふ』とあり又社家由緒によれば、『夏田御嶽堂、社地東西拾間南北四拾五間、堂高さ六尺五寸八尺四方鳥居高さ六尺幅八尺五寸堂庭三間松大小百本斗り堂守治右衛』とある。 明治44年9月21日1反6畝5歩境内地編入許可。 |
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