前へ | 真昼山三輪神社 まひるさんみわじんじゃ |
社伝によると、大同2年坂上田村麻呂が、真山の賊、魁王を退治する願望を成就せんが為、真昼山頂に一宇を建立、田村麻呂山頂にお立ちになった時刻が、ちょうど白昼であったことから、山名の由来とされている。
『三代実録』の貞観4年の頃に「真蒜神」が従五位下の神階を受けているが、この真蒜神とは、真昼岳の神と考えられている。 寛治5年に再建、善知鳥三坊、真昼大沢六坊の坊中を置き、佐藤山城守の総支配の元、大社として尊崇した。 文安2年坊中退転、佐藤山城守の子孫を別当に立て置く。 永正2年本堂伊勢守が再建。 天文7年南部花巻領主北正斎家中鈴木孫八郎、藤原正一と佐藤山城守の息女を見合せ、真昼山三輪明神の下社人と定め、永禄の頃その子の千寿院を真昼三社の別当と定め、真昼山神職の事を任せる。 慶長6年領主本堂氏が常州へ国替え転封後仙北は元より、平鹿、雄勝、河辺方面に、真昼講中の組織があり、信仰を集め今日に至っている。 |
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