前へ | 久斯神社 くしじんじゃ |
天安2年4月8日に、慈覚大師が、白気川より(今の白雪川)白和幣と梵天を拾いあげ、山に向って奉り、爾来衆生の守護神として薬師像を彫刻し、樋目野字古屋敷の地に安置、杲艀山照福寺と号した。
各月17日護摩密性を修行し薬師瑙璃光如来として崇敬され、慶長11年丙午に常陸国那賀郡酒列磯前社より少彦名命を勧請し久斯神社と称し神勤奉る。 文治2丙午年8月8日に、進藤長門守が新に御堂を建立し、産土神として崇敬され、今日に至る。明治6年9月村社に列せられた。 尚明治42年9月4日、樋ノ口村社神明社三十野無格社岩戸別神社合祀、同42年12月10日、樋目野字百目木無格社月夜見神社、無格社神明社、又字堅田無格社大日霊神社、字中村無格社神明社、又字新田無格社八幡神社、字谷地中無格社神明社、更に大正元年10月3日に字下山無格社八幡神社を合併する。 |
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