前へ | 諏訪神社 すわじんじゃ |
応仁元年将軍足利義政の時、由利十二頭相争う。
これが征討使として信濃武者小笠原大和守大江重泰(仁賀保氏の祖)を下向せしめた時に、重泰守護神として信州諏訪郡より諏訪大神を勧請して、海路本郡芹田に上陸し、古来有耶無耶の関として霊威ある現今の地を卜(うらない)して社殿を建立したのを創始とす。 爾来仁賀保八郷の総鎮守として世々國主の祭禄を受け、毎年大祭には藩公の参拝をした霊社であったが、後星霜移り物変りて神威一時衰え給うたのを、慶長17年本荘5万5千石の領主山形豊前守源朝臣満義及び大泉讃岐守義敦によって再建せられ、元禄6年仁賀保八郷の寄付により改築し八幡大神を合祀す。 現在の本殿が即ちこれである。 明治6年9月村社に列し同41年幣殿を新築し翌42年12月境内社神明社を合祀す。 当社の祭事は往古より11本の幣束を以て朝廷将軍家領及び仁賀保八郷の吉凶禍福を鑑むる御例の神事がある。 |
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