前へ | 八幡神社 はちまんじんじゃ 通称:腰掛八幡神社 |
創立は神護景雲元年と伝え、或は神功皇后の3年也と謂うと雖も、事宏遠にして判明しない。
正嘉年中最明寺時頼の寄付状に「象潟は八幡大菩薩降臨之砌也」とあるのを見れば、亦拠り所なきにあらずである。 時頼は仏教帰依者であったので菩薩と称せらるべきである。 時頼当社を崇敬する事浅からず、資財を投じて再建を命じている。 弘長3年に至り落成す。 当時の棟札 天者至神也神者歸信故信者誠也 奉造立一宇宮殿八幡大神宮 司宮 伊勢守 大願成就 羽後油理郡御地頭代官 弘長三癸亥年八月十五日氏子安全 同上裏面 監工氏名 大工氏名 木挽氏名 一天太平社頭興栄常盤垣守幸給 総氏子氏名 大塩越 当社往古は琴脇に鎮り座せしを、近古に於て現今の地に遷座せられしものという。 古伝に曰、皇后しばしの程駒を留め五ノ石に御腰をおろされ四方を御覧あそばれし所と言い伝えられ腰掛八幡宮と申し上げている。 |
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