前へ | 稲荷神社 いなりじんじゃ |
慶安2己丑年奉祀せられ、東雲の里の豊受社と称す。向能代一郷の産土神だけでなく、旧藩時代北海より下関、大阪に往復する船多く、海上安全祈願として重きを占めていた。
その後数度の火災により炎上し、古記録の残存するもの殆ど無いが、宝暦年間社頭改修時の参道敷石、御影石鳥居、前立石狐は今も存在し、又恵比須神社の御影を石に刻んだものに文化元年の年号がある。 明治に至り村社に列せられたが、明治19年2月社殿類焼の災禍を蒙る。翌20年直ちに本殿を造営、明治26年を以て一切の造営を了り再建悉く成る。 慶安以来変る事無く向能代の産土神として氏子等の崇敬深く、又漁業関係者の信仰も篤い。 |
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