前へ | 八幡神社 はちまんじんじゃ |
抑も当社清水山八幡宮の本源を尋ねてみると、往古応神天皇は、武門栄久の祖廟であって、天下泰平の守護神である。
爾来人皇50代、桓武天皇之御宇延暦16丁丑年初秋東夷征伐の為、将軍坂上田村麻呂公此の地に下り、柏御殿(今の柏子所八幡神社の境内)に陣所を構え、夷賊残らず討伐し大願成就の為陣所の麓に当社八幡神社を建立あらせられた。 夷敵兵船等遠離退散の為即ち清水山八幡大神宮と御勧項万代守護の霊地で、今なお毎年鎮守として村民崇めている。 慶長6年秋田城之介実季公より秋元庄之助の先祖八郎右衛門に八幡宮普譜料として毎年米6石づつ寄付あり、墨付書は今尚重物として保存されている。 墨付書写 比内蔵納之門に而米六石毎年興扶助者也。 慶長六年七月十三日 実季印 八郎右衛門 殿 |
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