前へ | 菅原神社 すがわらじんじゃ 通称:おでんちさん |
伊藤 宗就
社伝によれば、天正19年安倍実季再建とあるが、実季以前は「安東太郎この地に脇本城築城の際、男鹿鎮護の総社となし神領160石を寄進」とあり、安東氏が男鹿に勢力を持つようになり、その一拠点として脇本に築城し、氏神として祀ったものである。
安倍実季の国替以降、脇本郷に於て維持経営し現在に至る。 此の間、安東氏時代獅子廻村と称し、毎年3月と8月に、当社の午王獅子が男鹿島中・潟辺(湖東部)・能代桧山方面に迄廻っている。 更に天正3年、牛王天王社(天王町東湖八坂神社)祭事用の竹12本、秋田城之介より献納方仰せ付けられ、以来400年後の現在も、毎年7月6日統人2人が往復徒歩で竹迎えに来る。 この竹剪り神事を含めた統人行事が、国の重要民俗文化財に指定されている。 佐竹藩主の参拝も行われ、佐竹義宣公は寛永4年御紋灯篭一対奉納、9代義和公は寛政4年同9年文化年中の参拝が記録され、初穂料扇子1本奉納されている。 明治44年村社神明社を合併す。 昭和54年不慮の災禍により社殿を焼失、現社殿は昭和57年に竣工されたものである。 |
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