前へ | 八幡神社 はちまんじんじゃ |
阿部氏の祖といわれる若宮丸が鱒川にて死去、道路わきに埋葬するに交通人を止め、船を止めて困るので、高き処に移して、王統八幡宮とす。
安藤愛李が社殿を建立して当殿八幡宮とする。 別伝に八幡宮トドウの宮は渡大塔の宮の略である。 鎌倉の執権、相模入道高時が大塔宮を害し、死体を空船の箱にのせて海に流したのが此処に着き、里人死体を埋めて塚を建てる。 のち大塔だと知って八幡を建てる。 近世の別当は社家佐藤周防正である。 内陣の宮殿(本殿)は県重文。 円空作の仏像もある。 また、扇形懸仏は享徳4年(1455年)のもので願主は平泰春、扇面は薬師如来。 |
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