前へ | 愛宕神社 あたごじんじゃ |
創立年代は不詳なれど、式部大輔佐竹義成が大館の初代の城代となってから、その信仰が盛んになったという。
城代の夫人がことのほか愛宕を信仰され城内にあった愛宕社を中川原町(現古川町)に遷し、当時片山村に居住し医者をしていた美濃国稲葉城々主斎藤龍興の支族、斎藤氏に二人扶持を与え、養善院と号し、別当としたので、益々隆盛を極めたという。 寛永6年丙午年、3代目城代佐竹義房が社殿を建立したといわれているが、3代義房は寛永19年6月1日に生まれ、貞享元年11月42歳で逝去しているので、初代義成が、その夫人桂窓妙丹の為に建立したのが正しいとされている。 貞享2年現在地に遷された。 明治元年戊辰の役で社殿焼失、明治5年再建、明治28年10月拝殿を改築したが、太平洋戦争の戦中・戦後荒廃が続いたので、昭和55年現社殿に全改築を行った。 |
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