この御神体は元来、藤盛兵作家の氏神であった。
分家する時に2体のうち1体を忠正家に分け与えられたものであるといわれている。
明治34年有志で現在の同和鉱業の露天掘に、釈迦内の日景与吉外6名の大工で新築された。
しかし鉱業の発展にともない、神聖な地とは言えなくなり、昭和33年現在地に移転した。