前へ | 八幡神社 はちまんじんじゃ |
慶長7年、大館初代城主佐竹義成は、宗家佐竹義宣の水戸より秋田国替えに随伴し、常陸国小場より大館に遷封される。
遷封の際、佐竹家宗祖以来の守護神である常陸太田八幡宮の神霊を奉持し城中に祀った。 これが大館八幡神社の創始である。 万治元年大館2代城主義易公は、城中より神殿を現在地に遷座させる。 これが正八幡宮であり4代城主義武公、貞享4年更に若宮八幡宮を造立し八幡2社とした。 この神殿2棟が軒を揃えて並ぶ配置に特徴がある。 この2棟造立の貴重な資料である棟札が14枚保存されている。 ともに一間社流造りで小規模ながら各部に極彩色を施し豪華な造りになっており、江戸初期の桃山式の香りを持っているが形態配色もよく気品が全体に漂っている。 両神殿とも造営目的、年代などその背景も明瞭であり、その建築技術それに倍加して装飾内容など優美で、江戸初期にさかのぼる数少ない神社建築として貴重である。 昭和43年秋田県指定有形文化財、平成2年国指定重要文化財となる。 神殿保護のため鞘堂を設け完全防災設備が施されている。 造立以来330余年、大館城中の守護神、内町16町の鎮守総社として崇められ、また戌亥生れの守護神として特に崇敬をあつめている。 |
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