前へ | 稲荷神社 いなりじんじゃ |
創立年代不詳だが、旧来より上、下中川原の産土神として崇敬されていた。
元来は上中川原高村徳右衛門家の内神であったと言い伝えられ、明治以後においても別当、徳右衛門として地域一同に公認されており、昭和30年代まで同家で祭事が催されていたことによって特殊な縁故があったことは確かである。 明治43年4月に、白岩広久内村社、五社神社に合祀となったが、稲荷講を設立して社と跡地を維持し、私的に産土神社として崇拝して来た。 昭和24年神社設立、同5月社殿改築に着工、25年5月鎮座祭を執行、稲荷神社再興の記念石碑を建立し奉祝す。 |
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