前へ | 熊野神社 くまのじんじゃ |
古承伝によれば当神社は、古来より武将の格別崇敬された古社であって、延暦20年、坂上田村麻呂征夷大将軍として下向の折、現在の朴田山に陣屋を構え、賊退治の祈誓を凝らして社堂を一宇建立し、自身一個の霊石を安置して同社の御神体として祀る。
今の熊野神社の神鏡霊石がこれにあたる。 寛治3年源義家公、清原氏を征伐のため下向の時に祈誓して、霊験奇得の古社である事を聞きおよび、この社を度々尋ね来て賊征伐の事を祈誓し、社堂の朽ち損なわれているのを憂い、社堂を改造し、神器を奉納し神田十余町歩を寄付なされた。 又小野寺候仙北三郡の領主となり代々信仰篤く、天文の始めよりこの朴田山の熊野神社を大願成就のため吉田権現の宮と称し、社領高30石を寄付なされた。 小野寺候の子息吉田城主の信仰は殊更に篤く、同社の祭祀料は年々悉く賜わった。 出羽国延喜式内社の御嶽山、仙北郡西根の熊野堂、この吉田の朴田山の熊野堂を以って三熊野と崇称し、修験者の職位を授与する霊場と伝えられている。 明治6年村社に列格される。 |
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