前へ | 古四王神社 こしおうじんじゃ |
文亀元年植田の地に小鼓城があり、古四王神社は城主大石駿河守誉九郎藤原定景が祀ったものと伝えられ、社祠は北向き、御神像は天那鬼を踏まえた多聞天王(県指定有形文化財)であり、現在の奥殿は明治29年に上棟されたものである。
永禄3年の秋、植田小鼓城主大石誉九郎定景が皆瀬川のほとりを小鷹狩りして分けめぐり、葦原の雨露に濡れた木像を神か仏かと見奉れば、北に向きてましませり。 これはまさしく古四王権現の一柱と思召し、羽織に包みて従者に持たせ、小鼓城の隅は辰巳の方位に、古四王宮として守護奉りしが、今の多聞天王像である。 古四王宮は日々栄え、参詣道は賑わっていたが、文禄5年庄内の最上義光の軍に攻められて植田小鼓城は落城する。 この戦いで城に火がかけられ、古四王殿も危険となるや、多宝院の三世に当たる高勝坊が兵火の中に飛び込み、古四王尊像を命にかけて守り、小鼓城を逃れて里山に潜み時期を待ち、世の乱れも静まり、ほとぼりのさめた頃、植田に立ち帰り一紙半銭の寄付を集めて長い年月を重ねて再び古四王殿を建立したのが今の古四王神社である。(秋田叢書・記述抜粋) |
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