前へ | 八坂神社 やさかじんじゃ |
旧館合村の中心地薄井地区のほぼ中心地に八坂神社がある。
今から約590年前、明徳・応永の頃の時代と思われる。 開墾にまつわる八坂神社の前神両頭権現の由来の伝説がある。 当時の社は薄井と下開の間の丸沼の畔にあって、丸沼は満々たる大沼であって丸沼神社とも称した。 明治44年、丸沼神社に上大見内の神明社、船沼の八坂神社、小出の雷光神社、手取の稲荷神社の五社が合併して、村社八坂神社と称した。 明神西の八坂神社は古い昔天王明神の社と伝えられ、祇園の神と稲荷明神の二神を合せ奉る由いにしえ臼井殿という豪族の斎奉る御神也といい伝えられている。 その後大見内、船沼、小出、手取では地区の神社に遷し奉っている。 よって祭神は水波女神、鳴雷神、須佐之男命、天照皇大神の四神である。 正殿は一間四面で精巧な彫刻と均斉のとれた建物で、松と鷹の透し彫の貫、綾模様を丹念に刻んだ柱、四面を飾る竜と雲と浪、そして快い反りと二重の千木たる木をもつ屋根、その重厚な屋根を支える三手組と突端の金剛力士等実に美しい建造物である。 世代数十回の修復を繰返し、拝殿及び奥殿の銅板ふき替えの大事業を昭和54年に終え現在に至る。 |
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