前へ | 金峯神社 きんぼうじんじゃ 通称:権現様 |
本社は紀元1417年人皇第46代孝謙天皇の天平宝字元年の創立で、吉野から御分霊を勧請したもので、当時の祭神は金山彦大神、金山姫大神の二神をお祀していた。
御神体は後元禄年中藩主岩城伊予守重隆(第2代月峰領主)の手に成ると伝えられる。 境内に御分霊の際記念として、吉野から移した桜樹1本あって注連掛桜といい、花時には最も美妙に咲いていたが、次第に古木になって今はその痕跡も止めていない。 当集落の葛岡は葛城の葛から出たものという。 或は吉野のクス村人が落着いたのでクスオカ(葛岡)という説をなすものもある。 本社は久しく金峯山蔵王権現と称したが明治6年村社に列し金峯神社と改称す。 当社は山伏修験の神社で真言宗の影響もあり十度祓い、万度祓い、護摩加持祈祷もなし、又天然痘麻疹等流行の場合神送りをなしたと伝えられる。 境内社住吉神社の御神像は県文化財に指定されている。 |
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