前へ | 神明社 しんめいしゃ |
応永年中御所の山という霊蹟へ、日乃神の火蔵を安置奉ったのは出羽守楠正宣であり、応仁年中になって、打越正淑の再建になるものという。
元和9年冬岩城吉隆公亀田2万石の領主として入部以来、崇敬せられ、社殿を修繕し、且祭式整い、その厳正なることは、往古の打越家時代のようであった。 元文4年4月再建、その際当社地近辺各所に鎮座されていた四社の神霊を合殿合祭する。 即その四社は久須志神社、白幡八幡神社、受持神社、和田津見神社であり、神明社に合社して一社とした。 |
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