前へ | 神明社 しんめいしゃ |
往古より当町内に鎮座し尊崇篤かった。
寛永17年生駒氏所領以来崇敬あり。 鎮守となし陰暦8月朔日を以て年々祭典を執行、領民挙って崇敬して来た。 古文書に明らかなのは安永9年8月28日、八代親睦公初入部し五ツ半時神明愛染へご参詣、太刀1腰、御馬1疋代200疋と日記にある。 同9年2日8日八朔祭礼につき、例年通り御神輿通行並びに行列相廻り候に付き表御門内に入らせられ御覧遊され候、行列奉行佐藤津守。 翌3日九ツ半より神明祭りの角力あり、御略供にて神明へ御出で遊され候、とある。 当時の社地は城内福王寺と寿慶寺番神堂の間にあった。 慶応4年の兵火に罹り社殿神輿等皆灰燼となる。 明治2年生駒氏封土を奉還後矢島県において明治4年11月向上(現在地)に社地を撰び仮殿を建立して奉遷す。 明治6年郷社に列入。 社殿が新築されたのは明治33年、現神輿が竣工新調したのは明治35年10月と記録されている。 現社殿は昭和3年9月17日上棟によるものである。 |
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