前へ | 宮比神社 みやびじんじゃ 通称:千手観音 |
昔大国主命が国造りのとき、ここの宇賀の山本を御館として天宇受売命を祀られたと言い、その後、この地は神秘霊域の故をもって景行天皇のとき武内宿祢が火をたてられたことも古史に見えている。
延暦年中征討将軍坂上田村麻呂は、エゾを平げて、凱旋のときこの地に長らく滞在し、四方に幔幕を張り部下をして守らせ、田地を起させた地、「張り台」又は「張り山館」と呼ばれた。 寛治6年大中臣忠太郎良平由利にうつり、源義家の軍に従いその戦功により由利半郡を賜わり、ここの宇賀の豊岡館(今の千手台)に城をかまえ由理良平と称した。 永長元年ここに宮比神社を建てそれに千手観音を合祀した、応仁年中由理氏の後裔滝沢兵庫頭滝沢城に居城するにおよんで宮比神社は滝沢氏の祈願社となった。 しかし滝沢氏7代の兵頭政範は氏神山王権現以外の神社はあまり顧みなかったので宮比神社も一時衰徴した。 代った六郷氏は敬神に意を用い、宮比神社も崇敬社となり神事も旧に復しさかんにとりおこなわれた。 元禄年中、斉藤長助の中山の森(現在地)に大いなる火がとんで来て消えるのを村人たちがたびたびみた。 その火の玉は観音さまをまつっている千手台からとんで来て中山の森に消えるのでそこを霊地として遷宮した。 それから産土の神千手観音さまとして信仰した。 明治6年5月神仏混淆の禁にあい名称を昔の宮比神社に復した。 明治43年7月30日陳ヶ森神明社を合社、大正3年5月13日小友村三条鎮座の村社八幡神社を合社し同日付で村社に列した。 大正10年3月本殿幣殿新築竣工。 昭和16年11月29日 神饌幣帛料供進神社の指定。 昭和21年5月小友村三条地区の希望により合祀を解き同地区の元地に分祀す。 23年5月陳ヶ森地区の希望により神明社の合祀をとき元地に分祀す。 30年6月幣殿拝殿改築工事に着工同年11月竣工、37年社務所新築、62年神輿殿新築して崇敬している。 |
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