熊野神社は東向き、和歌宮は西向きで、弘仁20年頃小野小町の京より下だせし文など一ッ箱に入れ、和歌堂に入置してあったが、文禄年間最上義光の兵火により両社共無残に焼亡び、元和5年己未年今の社地に再建された。