永禄8乙丑年8月高橋民部が守護神として奉斎していたが、何時の頃からか本地虚空蔵菩薩と唱えられ、虚空地堂と称された。
丑寅生れの人等の崇敬が篤い。
明治4辛未年神仏区別の際、仏体を除き星辻神社と改称する。
明治12己卯年調神社明細帳に脱漏したので、明治24年明細帳編入額を呈し、以後虚空蔵神社と称す。