前へ | 御嶽神社 みたけじんじゃ |
創立保延元年5月 旧社格村社。
勧請の儀は、本町東北の一高山に鎮座せしは鬼門擁護の一社としてであった。 勧請年記は詳かに知ることはできないが、奥羽一の崇敬社であった。 その由縁は奥羽両国の地頭三館権太郎清衛これを寄付すと記載せる厨子が今尚存している。 同年5月壮麗の社字を建立して疫病祓除の大祭を執行されたという。 往時陸奥人競いて参篭したその跡は沢中に南部沢と名を伝えている。 又西南の麓に一温泉が湧き出している。 伝えて御嶽の御手洗湯と称す。 近傍の字を湯の原という。 本町を湯沢町と号したのも、悉くこの湯泉を根拠として名づけられたものと想像される。 これによって旧藩士土着の門閥佐竹氏累代これを崇敬すること篤く、明治維新の初めまで祈願所真言宗広大寺(復飾後幡永隆邦)をしてこれを祀らせ、祭日は太陰暦正月5月9月の各8、9日とし、これが御嶽の三祭である。 但し5月を以て大祭とし一山数多の「カガリビ」を点す。 人々御嶽の点火祭というのがこれである。 この祭事に逢うものは疫病を煩う事なしといい伝えられているので参詣の老幼群れをなし、参篭の男女社内に充ち溢れるのである。 明治3年神仏区別後明治5年郷社、翌6年県郷村社区別で雑社に、明治12年8月26日参拝の衆庶遠近をいとわず群参すれば、これ神徳顕なるを以て村社に列格す。 |
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