前へ | 大野八幡神社 おおのはちまんじんしゃ |
当社創建不詳なるも第85代仲恭天皇の御宇承久年間と伝えられている。
この頃源氏の末流である鎌倉の武人某が、守護神鶴岡八幡宮の御分霊を奉持して当大野村に土着し、地方開発し住民を教化しようとし、当村の西端(現大野道下289番地)に祠を建て奉祀した。 同所を古来「堂の後」と呼称してきている。 慶長年間に同地所は勘左衛門の管理する所となり、社堂は郷村氏神として崇敬される。 元和2年藩主佐竹公の老臣梅津半右衛門憲忠水路を開発し、新田村を建設する。 天和年間の大降雨で古川が氾濫、田地欠崩し社寺も危険にさらされたので、神霊に祈願して水難を免れることができた。 住民の信仰は益々篤く、正徳2年当村の中央部の清地として現在鎮座地を選定する。 享保15年に社殿を修理拡張し、天文4年に再び社殿を改築する。 文政12年宝社を再建す。 昭和に入り神殿幣殿倉庫を増築し今日に到る。 |
トップページへ |