前へ | 古四王神社 こしおうじんじゃ |
往古のことは明らかではないが、大彦命が北陸巡撫の際、我が北門の鎮護として武甕槌命を奉祀し、齶田浦神(あぎたのうらのかみ)と称した。
次いで阿倍比羅夫下向のおり大彦命を合祀し古四王と称してあがめたという。 この地は往古齶田村と称し、鎮座の地を高清水岡という。 聖武天皇天平5年出羽柵を移し、この高清水岡に置かれ、のち秋田城となって北辺防備の根拠地なり、坂上田村麻呂もこれに拠り従ってその守護神となった。 中世秋田城鎮守古四王大権現と称し、武人並びに地方民の崇敬篤く、佐竹藩主は社領60石を寄せた。 明治15年4月国幣小社に昇格した。 |
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