前へ | 神明社 しんめいしゃ |
明治6年8月村社に列せられる。
同40年8月27日、三嶽稲荷神社・藤島ニ柱神社・戸島本町庶羅神社・同琴比羅神社・戸島神社を合併し、明治42年1月10日神饌幣帛料供進神社に指定される。 同45年1月26日、星辻神社を合併現在に至る。 明治37年9月19日、8反3畝8歩境内編入許可となった。 この神社は、もとお不動さんと呼ばれ、戸島玄蕃頭(城主)の崇敬篤く、社領として300刈(約3反歩)を置かれ、上祭下祭とあって、田地は仏供田であった。 お不動さんについては、次のような言い伝えがある。 昔京都鞍馬山に林正坊という者がおり、孤児であり、当主の老僧に仕えていた。 師僧没後を継ぎ、廻国を志して不動尊を背負い、最上の山寺羽黒山を参詣し秋田に入る。 本村の草刈道に踏み迷い井戸尻台で人家を見出す。 林正坊喜び、下の台に降りて休憩する。 その夜は高屋村で一泊しようと笈を背負うとしたが、笈が動かない。 村人を頼み手伝わせたがやはり動かないので、やむなく夜を明かし、翌朝榊太夫を招き祭儀を行ったところ、始めて動き、神現れて、我は大日大聖不動明王であることを告げ、この地に鎮座することを命じた。 よって一祠を建て、不動明王と称え、日本武尊を祭神として祀ってきたのである。 |
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