前へ | 八幡神社 はちまんじんじゃ |
社記によれば応安2年豊島城主が鎌倉鶴ヶ岡八幡宮から城内に勧請したが、その後落城したので現在地に遷座す。
佐竹藩主は代々この神社を崇敬し参勤交代の節は時々参拝され、4代目義格が12歳の時に(額)を奉納しているが次のように書かれている。 『八幡大菩薩 十二歳 義格 花押』 また享保15年8月15日屋根普請の落成式に5代目義峰公が娘の栄姫と常姫を代拝させている。 明治5年7月10日郷社に列せられ、大正2年2月31日、式田地区白山神社、石川地区加茂神社、宮崎地区八幡神社、奥出地区塞神神社、古大張野稲荷神社、福田地区薬師神社の6社を合併して指定神社となる。 |
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