愛宕神社 あたごじんじゃ |
菅江真澄の月の出羽路に、「地蔵利生聞書伝九巻」によるとして、内小友村の沢目に地蔵田の総兵衛という小百姓がいた。その田の上に草創不明の地蔵堂があった。ある時旅の法師が来て、この田を開き、地蔵堂を建立すべしといわれ、総兵衛中風で不自由の身だが、養子と共に地蔵菩薩を奉り朝夕深く念じた。その中、中風も癒えて9月24日祭礼勧行、地蔵講を立てて更らに信心を深め、83歳の長寿を全うしたとあり、この総兵衛も田の上にあった地蔵菩薩を、愛宕大権現として一郷の鎮守として奉斎したと伝えられる。
明治維新後に、無格社愛宕神社となり、大正8年9月12日指令に基き、無格社神明社、同泉田神社、同山神社を合併す。 なお、当神社主祭神は地蔵菩薩の像であり、神仏分離後も1月24日に、神事終了後に引き続き、寺院住職による大般若経の読誦が行われるという故事が、時には中断しながらも近年まで続いていたことも特記すべき社伝である。 |
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