大同2年4月、坂上田村麻呂の命により社殿を再建、天正年間に戸沢治郎太夫盛安より社領を受け、のち、佐竹従四位侍従源義和、旧横手城主源義国等の崇敬を受けた。
また、源義家が清原武衡征討の際、戦勝を祈願した時に奉納された錫製の瓶子は、宝物のひとつである。
明治6年村社に列せられた。
現社殿は昭和38年に建て替えられたものである。