明治9年社殿を改築、同20年現在の市役所地内に遷座、さらに昭和20年10月には、市営野球場建設に伴い現在地に鎮座した。
明治7年10月「常保日記」の著者として知られている柴田久助(常勝)が「奉献三吉神社」と書いた日本一といわれる長さ60尺、幅13尺の天竺木綿の旗が現存している。