前へ | 大沢神社 おおさわじんじゃ 通称:尊仏様 |
大沢神社の祭神は古記録や口碑によれば、矢島藩の家老金子久左衛門尉満寛の二男想七がこの地に開田生業としていたが神奇のお告げあり、寛文年中に神祠を建立したのを同領主生駒家が尊崇し、元禄6年社殿を改築したものを付近の人々が大沢神社稲倉魂命本地拘留尊仏として祀って来たものであるとされている。
それが明治3年3月神仏混淆更正の際に大沢神社(俗称尊仏様)と公称して同6年10月16日再築したものである。 社寺明細帳に信徒人員500人とあるようだが大正の初期頃までは尊仏講があって、旧暦6月15日の祭日には数百人踵をつぎ大賑わいをしたものである。 社殿正面の奥は開き戸になっていて、前方権現山の洞穴を拝するように出来ている。 この様式は一般神社の社殿と異なるが、これは日本の神社の原始的な形式で有名な奈良の「大神神社」長野県の「諏訪神社」埼玉県の「金鑚神社」など同様式である。 この神社には元禄6年6月の棟札や鏡、半鐘などが伝わっているが元禄7年9月8日岡部忠右衛門寄進の白馬の扁額は立派な技法と風格の高いものであるが、作者は不明である。 |
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