前へ | 唐松神社 からまつじんじゃ |
神社棟札には、康平癸卯6年八幡太郎源義家が、出羽国仙北郡境庄唐松山勝軍権地社を修復し、神田72町歩を寄進し、蛇頭神楽を奉納したとあり、又棟札には延宝庚申八幡太郎源義家朝臣佐竹冠者源義処朝臣が、出羽国仙北郡境庄唐松山愛宕将軍権現修復とある。
物部家古記録には、守屋一子那加世東奥の地に分け入り、この地に祖先神を祀る韓服宮を建立したと記され、後に深く崇敬された神功皇后を合祀奉ったとある。 小野寺氏や、佐竹家の崇敬と庇護を受け、特に江戸時代には崇敬社として、広く県内の女性の講中の組織が結成され、蛇頭神楽の巡回を命ぜられた。 明治6年郷社に列する。 現在も唐松講、八日講として深く信仰され、女性一代の守神、授子安産子安の神様として、県内外に崇敬されている。(参道杉並木は県の指定天然記念物) |
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