前へ | 勝軍山神社 しょうぐんざんじんじゃ 通称:摩利支天山 |
羽後仙北郡外小友村鎮座勝軍山神社は、往時摩利支尊天と称していた。
古記によれば、天平宝字元年丁酉の年(757年)、八沢木の神官守屋氏(物部系類)の創設であって、今から1250年前の古社である。 後三年の役に、八幡太郎義家公がこの社に参籠して、勝利を祈ったところ、御神威忽ち顕れて、酋長武衡どもを亡ぼすことができたので、山の名を勝軍山と称するようになった。 祭神は、正徳4年鹿島大社から武甕槌大神、香取大社から経津主大神、出雲大社から八千鉾大神の三神を分祀し、下社は宇迦御魂大神と妻神を祀って、俗に黒稲荷、白稲荷と称していた。 殊に当社は、旧藩主佐竹公代々の祈願所であって、正徳4年(1714年)の社殿再建の棟札には、『領主源佐竹義処公武運長久攸神主守屋遠江守謹白』とあり、いかに佐竹家代々の崇敬が篤かったかを見ることができる。 古くから勝ち運の神として、勝利を得ようとする祈願者が最も多く、社殿は佐藤市左衛門家代々の造営であり、旧神官守屋宅が、嘉永6年火災に遭い、同社の宝物の多くが烏有に帰してしまったのは、誠に惜しみても余りあるものがあります。 |
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