前へ | 八坂神社 やさかじんじゃ |
矢坂の産土神社は、八坂大神(素盞雄命)を祀り、数百年を経る古い神社であった。
後に申子神社(山王宮ともいう)とも言われるようになり、明治41年4月16日に、八坂神社と改称し、八坂台地内に社殿があった。 その後の12月16日には、田の中(俗に荒田)にあった真山神社(荒田神社)及び現在の社地にあった神明社(伊勢堂という)の両社共八坂神社に合祀した。 昭和5年6月15日に、神明社跡地の現在地に社殿を造営し、今日に至っている。 このうち本殿、拝殿、玉橋は、河辺郡大正寺村(現秋田市雄和)佐々木某氏の社であったものを譲り受け、運搬再築したもので、彫刻が非常に見事である。 なお、嘉吉3年八酒村素盞堂脇(矢坂産土神社の旧名)に於て、館の城主額田重親の為、猿子(京都より来た夫婦連れの猿廻しの芸人)が追われて来たが、夫は猿と共に殺され、妻は捕えられたが、隙をうかがって城よりのがれ、秘蔵の能面を抱いて藤琴川の淵に身を投じて死をとげた。 その後は八坂村に不祥事多かったので八坂神社にその霊を合祀し、申子神社とも称して崇敬し、その災厄を免れたという「申子台縁起」が伝えられている。 |
トップページへ |