一岐嶋神社 いちきしまじんじゃ 通称:あみだ堂 |
創立年月日不詳なれど、古老の言い伝えによると、祭神市杵嶋比売命を祀り、中古弁財天と称していたが、今その称を廃し、境内の庚申塔には、安政2年3月の建立とある。
当地区の川本家の言い伝えによれば同家先代で今より14代前の時小祠を建てて奉斎したが、慶応3年春、現在の社殿に改築、その後、川村専蔵他3名にて官有地払下申請、時明治24年5月で今に及んでいると伝えられている。 又、あみだ堂は文化4年の菅江真澄「雑賀良能多奇」の記録によれば、『上三強坂といふ村にあみだ堂あり、まうづれば、古き墓誌石いと多し、文字はけちうせて、さらに見るべきかたなし、堂のうちにつかねたる、にぎての前に、塔の火珠(ひさぐがた)のごとく作りたる大なる石の、ふたつに破ればがらすべてあり。此石、人のかたちなせる小石を生り。ところ人、かかるいしなどひとつ申うけて家にいのり、子なき女の守りとし、又孕(はら)めるも守りとぞせりける。さるゆえならん、近となりの村たりとも、産のなやみ露ばかりもなけんと。このうめらん子石の多かることあり、すくなきことあり、いま十あまりも親石めぐりに在り。すくなるときは外にあそび、多かれば、みなもどり給ふといひならはしあり。』と記されている。 |
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