前へ | 八幡神社 はちまんじんじゃ |
延宝年中に塙村にて再建す。
塙川村郷土誌によれば、明治6年村社に列せられる。 大正3年2月23日大沢熊野神社、横内横盛神社、塙伊勢堂神明社、苗吉諏訪神社、仲村坊沢神社等を合祀する。 大正13年8月、塙郷中に於て金二千円と田地3反5畝歩を寄進したので、ここに独立して神社を維持して行く方法が確立された。 同年12月22日、 神饌幣帛料供進神社として指定された。 その後昭和2年社殿を建立する。 後に昭和46年9月10日現在の神社に改築される。 伝説によれば、昔「カタフタシン」という所に、今井善右衛門の氏神なりしが、一夜枕元に神様が立ちまして、告げて曰く『我れを別の土地に移して祀らば、川原一帯の地を美田と化してやらん』と言はれて、今井氏大喜びで早速現在の地に祀れり、それより郷民の信仰が次第に加はり、現在の如くなれり、と。 又、嘉永2年宝蔵院秀英(宮川政雄)の八幡宮神楽諄辞によれば『山城国鳩の峯に祀られる神は応神天皇である。この神は天照皇大神の心化にて、国家鎮護の霊神である。この八幡社の縁起を因ぬるに、その昔将軍坂上田村麻呂が勅命に応じて宴暦六年当郡粕毛の里に賊を退治する時に兜の鉢中に八幡を入れ……』云々と。 |
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