前へ | 諏訪神社 すわじんじゃ |
不詳なれども、明治5年6月村社に列す。
昭和3年5月神饌幣帛料供進神社に指定される。 昭和53年9月修理改築工事竣工。 昭和31年の南秋田郡面潟村村勢一覧によれば『本村開拓の古事は明らかならざるを以って判明せざるも今を去る約1709年前神功皇后三韓御征伐の航路途中激浪に遭ひ漂流し蝦夷ヶ港に御着し、下羽立村に諏訪明神を鎮座す。武運長久を祈願し当時の住民又皇威に浴し今日に及べりと指定村社諏訪神社之なり』とある。 昭和52年発行の八郎潟町史によれば、嘉永6年、明治17年にそれぞれ新築されていて、境内に北朝年号の古碑がある。夜叉袋の発生とともに土着の人々は信州諏訪明神(開拓神)を観請したものらしい。 この神社に寄せた真澄の記録によれば『この馬手に内外の神垣(神明・稲荷二社)あり。弓手に寄木を観音菩薩とまつりて堂あり。そが中に諏訪の社ありしことをかんさねにして建南方富命を斎ひまつる。かみわざは七月二十七日なり。 |
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