宝永2年、毛馬内村の山本九郎平衛が再建する。
法性寺稲荷と唱えられてきたと言われる。
明治6年、村社に列せられた。
明治41年、字赤坂の八幡神社を合併する。
大正2年、寺坂地区にて大改築を行う。
大正4年5月、神饌幣帛料供進神社に指定される。