前へ | 大日靈貴神社 おほひるめむちじんじゃ 通称:大日堂・大日さん |
社伝によれば継体天皇の御代、高徳により醴泉を授かった長者の善行を伝えようと、善記2年勅願により大日示現社を創建した。
元正天皇の御代、美濃に醴泉湧水し、孝子の徳行により養老と改元され、この地に伝わるだんぶり長者の物語を奏聞したところ、名僧行基を下向させ、養老2年大日社を再建された。 この時行基に随行した工匠・音楽師等が、里人に舞楽を伝授したのが、現在の大日堂舞楽である。 以後両部神道の堂社として崇められ、寿永2年鎮守府将軍藤原秀衡の命により、堂社の大修理が加えられ、文明18年南部家15代政盛の命で大日堂を修復した棟札が、記録上最古である。元和2年27代藩主南部利直から、社領80石余を寄進され、明治維新まで85石の社領を1里四方の山林の社地によって維持されてきた。 寛文5年大晦日の火災で大日堂及び尊像を焼失したが、29代重信により直ちに復建され、以後南部家崇敬、八大社の一つとして、社殿の修理が藩主の命により度々施されてきた。 昭和24年社殿全焼し、同26年拝殿は元の9間四面の土台に建立し、幣殿本殿を増築して、同31年竣工する。 |
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