前へ | 菅原神社 すがわらじんじゃ 通称:松館天満宮 |
当社の創建は、不詳であるが、松館天満宮縁記によれば、次のように伝えられる。
松舘精左衛門精長という智仁勇兼備の館主が無実の罪を蒙り悩んでいたところ、正安2年(一説に治安2年)5月25日の夜半に夢幻となく衣冠正しき官人が黒牛に乗り、手に梅花を持ち、精長卿の枕元に来臨して「汝、此の度の災難、無実と雖も遁るべき様無し、然りと雖も汝、日頃、予を敬するが故に、今此所に来たり。汝が罪を消滅すべし、安穏たらむ」と宣ひ、梅花にて三振り招かれ、又「予、倩々思ふに此館の要害、四方の景態宜しきに仍て、此の館に安座す。而して近き里人を氏子として衆生の罪障を消し、諸々の災害を退け、家内の長久を守護し、別だては、無実の罪を救い取らせむ」と宣いて神棚に入らせられると夢が覚めた。 精長卿は、神酒、香花、供具を捧げて礼拝した。 日を経ずして無実の罪の晴れた精長卿は、館の内に宮社と華表を建立し、里人とともに天神を遷し奉り、天満大自在綱乗天神宮と崇め奉ったと伝えられる。 現在の本殿は、慶安2年の建立と伝えられる。 例祭における探湯神事は、作付の吉凶を占い、奉納舞の三ノ岳権現舞とともに(通称「松館天満宮三台山獅子大権現舞」)として有名である。 |
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