口碑に伝えるところによれば、堂川字地蔵岱と称する所に社殿があったが、天明6年に現在の上の山に移し一村の鎮守とした。
明治43年4月1日堂川字伊勢堂岱神明社を合併し大正年間神饌幣帛料供進神社に指定されている。